CGと想像力
 「なんだ、またCGか」と呟く機会が増えた。
映画でもCMでもCGがこうも濫用されるとさすがに飽きてきた。ああ、また使っているのか、ともはや感動もない。
いや、そもそもCGで感動したなどということはほとんどないかもしれない。
精緻に創られたように見えるCGであっても、やはり作り物にしか見えず、どうしても違和感が先に立つのだ。CGはまだフィルムの質感を完璧には模倣できず、実写が描ける「空気」を描けていないのがその原因ではないかと思う。CGをふんだんに使っている映画などを見ていると、なんだかアニメのように思えてくる。「ハムナプトラ」シリーズだとか「スターウォーズ・エピソード1」などがそうだ。作り物が作り物然としていて、到底乗れないのだ。いや、この手合いの作品は、「これ見よがし」である点が厭だということもある。ほれほれほれほれこれだけCG使ってんだすげーだろうという感じが、好きになれないのである。
CGへの依存度が高まるにつれて、本題であるはずのお話が薄っぺらになっていくという事も、悲しい話である。
むろん、CGはこれみよがしに使われるだけではないのは承知している。画面から余分な要素を取り去ったり、古い街並みを再現したり、古い作品の褪せてしまった色彩を復元する・・・といった使われ方もある。そのような使われ方だと、気がつかないこともあるのではないかと思う。
私が見たいのは、CGを駆使して作られた「古代文明の世界」である。「グラディエーター」の古代ローマ世界の再現は、その意味では楽しめた。
ピラミッド建設、釈迦の出家、バベルの塔の崩壊、キリストの誕生、赤壁の戦い、「世界の七不思議」めぐり、挙げればきりがないけれども、餓鬼の時分、歴史図鑑を飽きず読んでは空想していた古代文明世界の旅をリアルな映像で見てみたい。

それと、何といっても動画で「偽双子」も創れたらいいと思う。単純な画面合成ではなくて、ふたりの役者が演じるがごとく自然な振る舞いをする偽の双子を描いてみたいと夢見る。

まだCGは発展の途上にあると思う。
そして、CGで描くに足る世界を創造できるだけの想像力を、私たちが持てたら・・・すばらしい。
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