「近所の人の証言」なんて信用するな。
 昨年の春、青森県弘前市のサラ金「武富士」弘前支店で放火殺人事件が発生、5人の命が奪われた。3月4日未明、犯人が緊急逮捕された。犯人は事件を起した後も普通に生活を続けていたが、約300日を経てついにつかまった。
 民放のTV報道を見ていると、例によって「近所の人」に記者がマイクを向けて、犯人はどんな人物だったかを尋ねている。
 今回の事件でも「近所の人」は「真面目な人」だと言っている。しかし、犯人はおもにギャンブルで1千万円もの借財をこさえているのだ。博打好きの側面を近所の人たちには見せていない。

 こういった場合の答えは、おおよそ3つに分類されるように思う。
 ひとつは、「真面目で、道で会えば挨拶もする」「信じられない」
 ふたつめは、「大人しくて、めだたない人だ」「何をしている人か、よくわからない」という人物像。
 そしてみっつめは、残酷な犯罪や粗暴犯の場合、多くは次のようなコメントが紹介される。「道で会ってもあいさつしない」「家からよく怒鳴り声が聞こえていた」・・・
 類型化されている。いや、そのようなコメントがニュースで紹介されているように思う。なんか、コメントする人たちはTV報道を見て学習して話しているような気さえする。
 TVニュースを見ながら、事件報道に登場する「近所の人」は、ずいぶんと隣人を観察しているものだなあ・・・と感心する。
 例えば、私は集合住宅に暮らしているが、同じフロアの住人をまるで知らない。隣の部屋には若い女性が暮らしているが、名前さえ知らず、あいさつも交わしたことがない。まれに白人の恋人と部屋を出てきて、エレベーターホールで一緒になることがある。顔も覚えてはいないので、もし彼女が犯罪を起し、似顔絵の捜査協力を請われても、役には立ちはしないだろう。他の隣人も、良く知らない。強いて言えば、同じフロアには特例で盲導犬と暮らす方がいる。規約に違反しつつ、猫をこっそり飼育している人がいて、夏になると、私の家にもベランダを伝って忍び込んだりする。
 近所付き合いはまったく、ない。
 そういう人間なので、事件報道の、「近所の人のコメント」を驚きをもって見ているのだ。むろん、田舎ではコミュニティが濃密な場合もある。だが、大きな都市で「近所付き合い」などというものがあるとは信じがたいのだ。

 事件犯罪報道の「近所の人のコメント」、政治に関する「街頭インタビュー(街の人の声ってやつだ)」というのは、もはや何の考えもなく、半ば反射的に行われる取材活動ではないだろうか。また、そうした取材で得られるコメントは、都合良く使われてはいないか。
 犯罪者像を単純化し、政治に体する意見の多様性を切り捨て、一見分かりやすくしてみせる。
 しかし、粗暴な犯罪者も、虐められている人を助けたことがあるかもしれない。大変な人気のある政治家に異を唱える人だっているかもしれない。利権漁りに汲々とする政治屋を擁護する人だっている。

 そういったものがあまり顧みられないTV報道というのは、とても危険だと思う。しかし、わかりやすさに安住し、慎重さに欠けるひとびとが報道を手がけるこの国ではもはや危険さを訴える声すらあまり聞こえないありさまなのだ。
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