最高ですか

以前、渋谷の近くに勤めていた頃、打ち合わせなどで駅に向かうと、向こうから何かを叫びながらふらふら歩いてくる人がいた。「さいこーですか?さいこーですか?」とすれ違う人に話しかけている。中年の男性のこともあれば、中年の女性のこともあった。みんなトレーナーを着ている。「最高ですか?」と書いてある。時に本を配っていることもあった。
怒っているちんぴらに「最高ですか?」と声をかけて殴られてた男も見たことがある。そいつは道に倒れたが弱々しく起きあがって「最高です」と言ったものだ。
 それが「法の華」という宗教法人の修行だと知ったのは、だいぶ後のことだ。
 渋谷駅頭で配っていた受け取り、福永法源の人の本を斜め読みしたことがある。なんでこんなものを読んではまってしまう人がいるのかがよくわからない。「頭を取って」「最高になり」天声に従えば大金持ちになるなんていう。「幸福の科学」の本もそうなのだが、道徳の出来の悪い副読本のような退屈な本から、人生の真理だか神理を学べるひとは幸せだと思う。大川に降りたノストラダムスが語った未来予言やアラーが語った未来予言もことごとく外れているのだけれど、あれなんてもう笑うしかない。

 その後、福永法源はあちこちの週刊誌のパブリシティ(記事を装った広告ページ)にたびたび登場して有名人と対談したり、自分の手がける事業の自慢をしたりしていた。
福永法源という人の写真を見て、ああ、わかりやすいな、と思った。
ひと目で胡散臭いとわかる。漫画やらドラマに出てくるインチキ教祖そのものだ。
こんな人になんで引っかかるのだろうと思った。
その程度の関心しか持たず、しばらく名前も忘れていた。
 
 福永法源は事業に失敗して自殺を考えた時に、突如として「天声」を聞いたという。それで天声に従い、それを伝えるべく、宗教を起こしたのだそうだ。これはほかの新興宗教の教祖にもよく見られるパターンだ。中川隆も3流商社勤めをしている頃、とつぜん様々な霊の訪問を受けたと言って、のちに大川隆法を名乗った。この頃、中川隆の父親は家業に失敗している。麻原も様々なビジネスを失敗した後、「オウム神仙の会」というヨガのサークルを始めている。今は廃刊になった「トワイライト・ゾーン」というオカルト雑誌によく取り上げられていたものだ。
 何のことはない。
 生長の家だとか創価学会などを見て、宗教の元締めというものは大儲けができて、しかも奉ってもらえるという事に気づいて、ビジネスとして宗教をやり出すわけだ。

 福永法源は「天声」を聞ける唯一の存在である。大川隆法という人は「エル・カンターレ」という宇宙最高神霊の生まれ変わりである。どっちが位が高いのだろうか。そのほか、最終解脱者と称した麻原彰晃をはじめ、神だの仏だのの生まれわかりが色々いるわけだが、いったい誰がいちばん偉いのか。
 もちろん、どの教祖様も自分が唯一正しくて、ほかのすべての宗教は邪教であると言うに決まっている。もっと面白い言い方としては、ほかの教えはサタンの教えですだとか過去世で自分が指導したことを忘れて、間違ったことを教えているだとか、別次元から来た間違った教えだとか言う。

 新宗教を巡る騒ぎを見るたび思うのは、アヤシゲなご託宣に喜んで大金を払える人がたくさんいるのだから、大したものだなあ、ということだ。
 もったいつけて「あの世」だとか「心霊」だとかの話をして、金をだまし取りたいという奴等がいて、それを聞いて、喜んで金を差し出す奴がいるのだから、バランスが取れている。
 それがいざ事件としてマスコミが騒ぐとなると、金をだまし取られたとぎゃんぎゃん騒ぐのが解せない。御利益がほしくて納得して金を差し出したくせに、と思う。
 おれは、人を見たらまず疑う性質でしかも気前よく差し出せるだけの金がないので、なかなか宗教をやれない。
 おれの考える「宗教」というのはまず、現世を生きる知恵である。死んだ後の世界や生まれ変わった後の世界での安寧やらは、生きている今は関係ない。明日は今日より少しはマシにしたいという思いだけだ。

 福永法源という人を見て思うのは、糞にいくら香水を振りかけてみても、しょせん糞だということだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 糞でも信心の対象になる。糞に大金を払う者がたくさんいる。

 ほうげんを正しく書けば、放言もしくは呆言。
 正体はとっくにばれてるじゃないか。
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