虎の敷物としての木村太郎

みんな、ニュース見てる?

テレビのニュース報道というものは、今ひとつ信用が置けない。信用が置けないというよりも疑わしい。テレビというものが広告に依存している以上、公正かつ厳正な報道なんて有り得ない。広告を大量に出すメーカーのスキャンダルはまず出てこない。新聞も同様で、広告主の利益に反する報道はほとんど見られない。
先日、日栄という高利貸の悪事が露見したが、これだって東京新聞や週刊誌が火を付けなかったらうやむやにされていたに違いない。日栄は、ニュース・報道番組を中心に番組提供をしていた。いわば報道機関の口を塞いでいたわけである。ニュース番組が頬かむりしている間に、日栄や商工ファンドに追いつめられた人が何人も自ら命を絶っている。それを後追い取材して嘆いたり憤ったりするふりをするのが、テレビ報道の本性である。
厚顔無恥である。
大して盛り上がりもしなかった「天皇在位十年奉祝式典」をご大層に報道したりもした。 これはフジテレビだったけれど。
国民が祝意を表したわけではなくて、右寄り勢力の天皇利用でしかない、意図みえみえのイベントに乗っかるほどおれたちは馬鹿ではないけどな。

夕方のテレビニュースなどを見ていると、ニュースとは言いがたい感じがする。時間帯は違えど、「ワイドショー」とさして差がない報じかたをする。
ニュースは情報を簡潔かつ的確に伝えることが肝要のはずだ。それが実状はというと、事件の現場に記者もしくは若いアナウンサーを送って、なんだか要領を得ないレポートをさせたりする。生で情報を伝えることは結構だ。しかし、情報量が少なすぎるし、報告の仕方がヘタなのでニュースの提要は掴みにくい。
1時間も時間があるというのに、取り上げられるニュースの数も、情報量も少ない。やれ有名な店ができただの、アイデア商品が出ただのとどうでもいいニュースが多い。スポーツを伝える時間も長すぎる。時に芸能人の話題などをやっている。さらに、「特集」だと称しておいしいレストランだの行列ができるラーメン屋だの紹介をしたりする。
新聞を読まない人が増えて、テレビでニュースを知るという人が多いなか、放映されているニュースはお粗末そのもの。いったいどこが「情報社会」なんだろう。
もしかしたらCS放送では、まともなニュースを流しているのだろうか。

で、夜のニュースを見る。
めったにチャンネルを合わせないけれども、フジテレビを見るとちょっといやな感じになる。まず脇にノートパソコンを置いて、その画面を横目で見て時に含み笑いをしている木村太郎がなんだか変だ。海外のニュースサイトを見て刻一刻と更新されるニュースを読んでいるそうだ。だからと言って、今起こっている大事を伝える様子を見たことはない。番組である以上、段取りがあってそんなものを差し挟む余地などあるはずがない。
高い金をもらいながら、出演する番組には何の貢献もしていない(と見られてもしかたがない)ネットサーフィンをしているのだから、結構なものだ。最近は安藤優子まで脇にノートパソコンを置きだした。どこかの代理店が仕込んで置かせたかもしれない。

 木村太郎を見るたびに、おれは、幼い頃に行ったことがある、成金の土建屋の家の居間を思い出す。そこはなにしろ成金なので、シャンデリアと家具調テレビと、水牛の角と模造小判を飾り、床には虎の毛皮の敷物を敷いていた。それは「この家には金がある」ということを分からせるためにのみ存在し、ただ床を占有して、来客者を威圧するのである。

「ニュースJAPAN」という、木村太郎が出ているニュース番組は、夕方のニュース番組と同じくばたばたと進行し、世間の動向を知るという意義は薄い。途中でこれまた女子アナが下手くそに進行する「プロ野球ニュース」を挟んで、「特集」をやって最後に木村太郎が「コラム」といって右寄りのフジ・サンケイグループに見事におもねった言葉を述べる。その内容は、床屋だとか飲み屋で政治を語ってみせるアッパー系の親父の言質とさして変わらず、日本はアメリカにへりくだってばかりで駄目だとか、膨張主義の中国に軍国主義などといわれる筋合いはない、などと言った調子で、1分も時間をかけず述べる。この「コラム」が日本の言論界に影響を与えたという話はついぞ聞かない。
しかし、フジテレビは高い金を払って、実体の良く分からない自称ジャーナリストをニュースの席に置くのだろうか。たぶん、この人は「私はニュースを伝えていますよ」という見せ金というかメッキのようなもので、ホントはニュースなんか伝えていないということを目くらましするための置物ではないかという気がする。あるいは、けちな権威を見せつけるための「虎の毛皮の敷物」か。
 そもそもなぜコメンテーターなるものをニュース番組に置かなければならないのだろうか。そんな者にどうでも良いことを述べさせるのを辞め、番組から降板させて浮いたギャラを取材費に回せば、もっと番組になると思うがそうしないところを見るとまともなニュース番組なんて作る気はないのだろう。
 まあ、民放のテレビ番組は、とどのつまり広告のおまけであって、広告を見てもらうために視聴率を上げるのだ。

 そうなれば、番組の中身なんて本当は意味がないのだ。木村太郎は番組の無意味さ、とくに民放の報道番組の無意味さを体現している。
どうせ意味がないのなら、CGで作った木村太郎をはめ込んでおいたらどうだ。たぶん、誰もCGだなんて気づきやしないから。
2000年4月以降の番組改編に伴い、木村太郎は安藤優子と共に夕方6時の時間帯に引っ越し、木佐彩子という頓珍漢なアナウンサーと天気予報を読んだりしている。
最近はパソコンを脇に置かなくなった。なぜそこにいるか、分からない違和感がますます強まっているように思う。
SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO