つながらないという不安

ケータイなどという下品なものの売れ行きと反比例して、日本人はどんどん下品になっていったような気がする。
街を歩くたびにそう思う。
周囲とは何の関係もなく、唐突に大声で謝りだしたり、笑ったり泣き出したり怒ったりしている馬鹿が増えた。
地面にべったり座り込んで、あるいは往来に足を投げ出してだらだら話している馬鹿も増えた。
ハンドルを握りながらケータイで話しながらぺこぺこしつつ交差点を曲がって婆あをあやうく轢きかけるという器用だかなんだか良くわからない野郎を見かけたこともある。歩きながら話をするのに熱中するあまり、人にぶつかっても知らんぷりする馬鹿も多い。
建物の中でも、下品さは目に付く。
幼稚な着信メロディを大きな音量で鳴らして、一向に恥じない、営業マン。喫茶店だとかファミリーレストランで人と話している最中なのに、かかってきた電話と延々話す馬鹿。席に向かい合って座っているのに、それぞれケータイを取りだして別々の相手と話しているカップル。

「自分がつながる」ことが大事なので、ほかの人のことはまるで気にならない。

みんな見えない蛸壺に入っているみたいだ。

おっといけない。そんな道徳のことを言いたいわけではなかった。
問題は、携帯を持っているやつらがそれを使っていない場合の表情なのだ。
地下鉄のなかで携帯電話を取りだして、蓋を開いたり、閉じたりする若い者をよく目にするが、その表情が興味深いのだ。
本を読む習慣を持たない者が多いのか、まず、退屈そうである。端末やらストラップや貼ってあるシールを眺めている。
その表情はいささか痴呆的で、見ているとなにやら不安を惹起する。
彼らは続いて不安そうな表情を見せ、次第にいらつきを見せる。

「つながらない」という事が不安なのだ。

地下鉄の駅を降りて、地上に出ると、そういう連中はさっそく電話をかけはじめる。
やっとの思いで麻薬を手に入れたジャンキーって、こんな表情かもしれないと思う。
あんたは、急を要する用件を四六時中抱えているのかい?
誰かと「つながって」いないと不安なのかい?
短縮ダイヤルにたくさん電話の相手が登録されていないと恥ずかしいのかい?
そんなちっぽけな道具なしに、生きられないのかい。

みんなうれしそうに誰かとつながっている。そのとき、彼もしくは彼女はその場所に存在しないかのようだ。
日本における携帯電話とPHSの累計普及台数は2000年に6,500万台を超えてしまった。
老人と子供を除くと、ほとんどの国民が電話を持ち歩いているということになる。
業界団体は、2003〜5年頃には「携帯端末一人1台時代」が来ると言う。
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