オカルト番組再興を熱烈に希望する

1995年は歴史的な1年だった。
1月17日、阪神・淡路大震災の発生。3月22日の地下鉄サリン事件。後の歴史書には、日本が衰退していく、最初の兆候とでも書かれることだろう。
この天災と人災は、日本のテレビ業界にとっても大きな転回点になった。
まず、報道番組のあり方が問われた。神戸の被災現場に立った筑紫哲也は、たちのぼる煙を見て、「まるで温泉場のようです」と評した。女性キャスターは寒さしのぎに豪華なコートを着てきて、被災者の顰蹙を買ったりした。カメラは画になる悲惨な現場ばかりを映し、被害の実像は不明のままだった。もちろん、被災者のプライバシーも配慮しない。<ドラマ>のような話を、テレビ屋は捜し求めた。
地下鉄テロ事件の報道も狂騒状態で、地下鉄の階段などで泡を吹いたり吐血したりする被害者の様ばかり追った。東京で何が起きたのか、それを的確に伝えていただろうか。いや、あの日のテレビは、冷静さを欠き、うろたえたアナウンサーや現場の記者たちが、うわごとのように「たいへんなことがおこりましたたいへんなことがおこりましたたいへんなことがおこりました」と繰り返していたかの印象がある。

1995年、この都市、それまで数多く作られてきた「オカルト番組」はほとんど放映されなくなったのである。それどころか、そういったものは批判され、徹底的に叩かれた。
阪神・淡路大震災の被害による凄惨さは、不謹慎な「心霊」のお話を憚らせるものがあった。神戸には自分が死んだ事がわからない霊で溢れかえっている、などといえる雰囲気はもちろんなかった。
また、オウム真理教が教祖のいんちきな予言を成就するため、ハルマゲドンを自作自演で引き起こした地下鉄サリン事件は、心霊や予言やUFOなど、オカルトのインチキぶりを間接的に証明してみせた。
かくして、嬉々としながら幽霊話やいかがわしい超能力の実演やUFO目撃の再現ドラマを放映していたテレビ局は、まずそういった番組を一掃した。続いて、オカルト批判に転じてしまった。霊能者も心霊写真もUFOも超能力者も予言を解読する人もテレビの舞台から消えた。その代わり、社会派のライターや、オカルト懐疑派の大学教授が登場してオウムやオカルトを徹底して糾弾してみせた。
1995年のテレビは、かなり異様な様相を呈していたように思う。

ああ、思えばおれは心霊もの、超能力もの、UFOもの、未確認生物(ネッシーとかツチノコとか)を追っかけるスペシャル番組というものが好きだった。
そういった番組では、「この世の中には、まだ科学で解明できない謎があるのである」といったナレーションがお約束のように使われた。
ああ、今にして思えば、怪しい番組ばかりだった。怪しさが充満していた。
心霊特集に登場する、よくわからない宗派に属する霊能力があるという坊主や尼僧。
能弁で能書きをとうとうと述べた後に「奇跡」を見せる超能力者。
UFO番組ではあらかじめ結論を決めてのぞんだと思われる取材(外国の取材では必ず吹き替えが付く)と、取材では足らない部分を大胆に潤色し、合成なども駆使した再現ドラマが見られた。
また、心霊ものの再現ドラマは、学校の話題になるから欠かせないものだった。
「世の中には科学では解明できない謎がある!」
ガキ時分のおれは、そう思って興奮したのである。
世界には謎が満ちており、謎は権力者によって隠蔽されている!そのような事をうのみにしてやたら興奮していたのだ。

興奮状態にあった我々の世代の少なからぬ人数は、平井和正の「幻魔大戦」やあるいは萌芽を見せはじめた第2世代の新興宗教に走ったようだ。ちなみに「幻魔大戦」で語られる内容は、「オウム真理教」や「GLA」、GLAのパクリから始まった「幸福の科学」の教義に少なからぬ影響を与えたともいわれる。

オウムの衝撃がやや薄れ、2、3年前から少しずつオカルトを取り上げた番組が放映されるようになってきた。だがポスト・オウムのオカルト番組は、シニカルな視点のものが目立つ。
たとえば「たけしのTVタックル」。超常現象否定派の大槻教授や松尾貴史が、アダムスキー信者の韮沢さんや宇宙語を話すというおばさんや解読方法がそれぞれ異なって対立するノストラダムス研究家たちをコケにしまくり、様々な超常現象のからくりを暴く。
超常現象肯定派は、旗色が悪い。絶対の証拠は提示できず、論理的な話も組み立てられない。鮮明なUFOや異星人を映した映像は存在せず(NATOが隠蔽するので!)、超能力は奇術師なら簡単にできそうなことを時間をかけてやるだけ。予言の解釈はすべて失中する。否定派の鋭い叱責の声に、見るからに怪しい「超能力者」秋山真人は毒づいてみせ、毎回立腹して席を蹴る。(これは「朝まで生テレビ」の大島“バカヤロー”渚の役回りか)
これは、もちろんと学会の「トンデモ本」シリーズのヒットに依るところも大きい。日本で出版されるオカルト関係の本のほとんどが抱腹絶倒の内容だと指摘して笑い飛ばしてくれたのである。
ああ、それはわかっている。
しかし、おれはガキの時分にみたオカルト番組の再来を切に願う。
あの頃、おれはUFOの大群、異星人による会見、霊界との交信がテレビに映し出されることを切に願っていた。つまらない現実の裏には「驚異の世界」があるということを信じたいのだ。
そして、今もそうだ。
 ブラウン管の向こう、ブラウザのなかに驚異を見い出したいのだ。
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