「宇宙戦艦ヤマト」再発進ってどうよ
 10月から「新宇宙戦艦ヤマト」(仮題)のTVシリーズが放映されることが決まったのだそうだ。1974年に放映された最初のTVシリーズからじつに28年が経っている。
 最初のシリーズを見ていた世代の子供たちが商売相手なんだろうか。
 あ。
 でも、あの当時「宇宙戦艦ヤマト」にのめり込んで同人誌作っていたような人って、濃厚なおたくの人が多いので結婚などせずにおたくの道に精進して子孫を残さないというケースが多いような気がする。ま、70年代・80年代に「ヤマト」に多大な投資というか散財をしたお客さんも、もう一度お客さんになるのではないだろうか。
 今度は豊かな経済力を携えて。

 「宇宙戦艦ヤマト」はじつにTVシリーズ3本、映画4本、テレフィーチャー(TVムービー)が制作されている。(そのほかシド・ミードデザインによる別シリーズのOVAもある。まれに安売りビデオ屋店頭のワゴンのなかで500円位の値札を貼られていることもある)
 これほど濫造されたのは、言うまでもなくプロデューサーの西崎義展がお金儲けに走った結果で、松本零士とはいがみあってうまく行っていなかった。
 西崎義展はなんでも「おれがやった」という口ぶりでインタビューを受けまくった。
 
 西崎義展は儲けたお金で高級クルーザーを買って取り巻きを集めて東南アジアの海を航海し、タレント崩れの女などを侍らせて酒と麻薬に耽ったのである。
 「海賊対策のために」クルーザーには大量の銃器を積み込んでいた。麻薬を常習していたらしくて、覚醒剤をキメていたのがばれて獄につながれてしまったのである。
 ついでに書いておくけれど、西崎は石原慎太郎とともにこの武装クルーザーで尖閣列島に上陸して日章旗を立てる予定もあった。西崎は石原に新しいヤマトの企画を依頼している。また、多額の献金もしていた。ただし西崎逮捕直後、石原は献金分を返金し、「西崎のことはよく知らない」などとコメントをしている。

 西崎逮捕後、松本零士は「宇宙戦艦ヤマト」の版権をすべて買い取った。また、西崎は逮捕直前に「宇宙戦艦ヤマト・復活編」と称した企画を練っていたようで、海外資本との提携でつくる、などとぶち上げていたようだ。

 3、4年前から松本零士版「ヤマト」登場に向けての地ならしとも思える、特集記事やインタビュー記事がアニメやマンガの雑誌に掲載されるようになった。ビデオソフトが日本コロムビアからバンダイビジュアルに移籍して再度発売された。
 さらに、2000年になって、小学館発行のマンガ雑誌で「新宇宙戦艦ヤマト」連載がスタートした。旧ヤマトから1千年後(!)のお話で、かつての登場人物の子孫が御先祖と同じ名前と姿で登場する。新しい「ヤマト」は旧ヤマトの2倍の大きさであり、船底にある第3艦橋側にも主砲と副砲が据えられた。
 で、ストーリーなのだが、本格的なお話が始まる前に掲載誌が休刊してしまって、よくわからないのである。単行本にして2巻ぶんの枚数があるのにお話らしいお話が展開されていないというところが困りものである。
 現状までを読む限り、たぶん旧作品の最初のTVシリーズのエピソードをリメイクするようなものになるのだろうと、思う。あわせて「999」のメーテルだとかキャプテン・ハーロックだのエメラルダスなどがからみ合うのだろうと思う。
 ついでに記しておくと、「新宇宙戦艦ヤマト」の英語タイトルは「SpaceBattleship YAMATO」となった。旧作品で、西崎が「SpaceCruiser YAMATO」としたことに、松本零士はえらく立腹していたのである。Cruiserは巡洋艦のことであって、ヤマトはBattleshipである、と。

 「宇宙戦艦ヤマト」以降、「銀河鉄道999」だの「キャプテン・ハーロック」だのと作品のアニメ化が相次いだ頃、松本零士はマンガも大量に製造していた。いや、粗製濫造していた。コマを大きく割ってコピー機で同じ絵を使いまわし、お話の中身はどんどん薄くなっていった。
 はっきり言って、「ヤマト」以降の松本零士はお金儲けに走ったんだと思う。金儲けはしただろうけれども、物語を描く能力は失われてしまった。
 近年では昔描いたものの焼き直しというか、同じ内容を描き直したようなものばかりだし、「999」のアニメもリメイクしたりしてる。しかしながらヒットしていない。外しているのである。
 理由は上に書いたように、中身がなくて昔と同じ内容で質が低いから。はっきり言うが、この人のストーリーつくりの能力はすでに枯渇しており、昔のアイデアを使いまわすしかないのである。推論してみるに、近年、松本零士は脳みその物語を考える部分が破壊されてしまって、脳内の妄想世界に逃げ込んでしまった感がある。
 松本零士は老人特有の症状が顕著に現れていると言ったら、言い過ぎなのだろうか。老人の脳の生み出す妄想が紙の上に吐き出されていると言ったらまずいだろうか。
 画力が明らかに落ちているのも痛々しい限りである。

 何を勘違いしているのか、マスメディアでは松本零士のことを「アニメの巨匠」などと紹介したりするケースがある。
 インタビューに答える際も、松本零士は自分でアニメを作るだの、脚本を書いてるだのデザインをするだのコンテを書いているだの原画を描いているだのと吹きまくっているのも不可解だ。
 いわゆる「松本アニメ」のなかで松本零士がどのような役回りをしているのか、まるで不明だ。
 宮崎駿や手塚治虫ならば「アニメを作っている」と言える資格がある。脚本、コンテ、原画を手がけているから。しかしながら、現場に顔を出してスタッフに口を出しているだけのひとが「作る」と言える資格が果たしてあるのか。
 例えば、「999」や「ハーロック」はりんたろう監督、故・小松原一男作画監督、故・椋尾篁美術監督以下、スタッフの優れた仕事による賜物なのだが、松本零士のインタビューにおける回答は、「ぜんぶおれがやった」と誤解されかねない話ぶりだったりする。

 ご存知の通り「宇宙戦艦ヤマト」は、さまざまな人のアイデアで形になっていった物語である。SF作家の豊田有恒、虫プロでアニメを演出していた山本瑛司、スタジオぬえ、さらには映画監督の舛田利雄も参加していた。のちに松本零士の参加によって、ミリタリー風の味付けがなされたのである。
 今回の「新宇宙戦艦ヤマト」は、松本零士テイスト、つまり松本零士の脳内妄想によって描かれることになるのが、いささか憂鬱である。

「新宇宙戦艦ヤマト」には期待している。
 ひとつは、純粋な「ヤマト」ファンとして。
 もうひとつは、かつて好きだった漫画家の壊れ具合を見届けたいから。
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