同情は不要である。

 「ハリウッド映画みたいな場面」で唖然としたあの日。
 同時多発テロからあっという間に1年が過ぎて、ニューヨークの<グラウンド・ゼロ>では大々的な追悼行事が催される。
 犠牲となった人には哀悼の意を捧げたい。しかし、手前勝手な「正義」の美名を騙って、その実、国の利益や政治力がある企業の権益のための戦争やら紛争やらを仕掛けてきた結果のテロであって、私は合衆国に同情はしない。その後の「テロとの戦争」も納得はできない。あの戦争で亡くなった人の数は、同時多発テロの犠牲者の数をしのいでいるのである。米軍は先日、アフガニスタンで結婚式を誤爆して多数の死傷者を出したが、「わが軍に過失はない」などとうそぶいたりしている。

 本題に入る。
 日本の報道はどうなっているのか?
 過剰とも思えるセンチメンタリズムで、数多くの死者が出た、遺族はみな悲しみに耐えていますと嘆き悲しんでみせて、勇敢な消防士やら警官の「美談」を持ち上げてみせ、合衆国の餓鬼どもが心的外傷に悩んでいるようだと、ほとんどは合衆国べったりの姿勢ばかりだ。

 なぜあのようなテロを招く羽目になったか、そのことにはほとんど触れない。戦後、合衆国が何をしてきたか、その帰結としてのテロであるとなぜほとんどのメディアは言わないのか。
 合衆国がてめえの都合で起こした戦争でどれだけの墓標が立てられたか、一度示してみろ。

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