模造品の現在
 宇多田ヒカルが「Automatic」で鮮烈きわまりないデビューをして、ユーロビート+キンキン声高音ボーカルの歌を駆逐した頃、和製R&Bの女性歌手がたくさんデビューした。その中に、宇多田ヒカルに良く似た感じの歌でデビューした者がいた。いうまでもなく、それは倉木麻衣である。
 彼女を売り出したのは、チャゲ&飛鳥が活動を休止したタイミングを見計らったかのごとくB'zを、Bowieが解散した頃合いにT-Bolan(すごい芸名だ)やなんかをデビューさせたプロデューサーだった。だから、これは(口に出さなくても)模造品だと思ったものだった。
 プロフィールの似せ方もあまりにもあざとかった。千葉県市川市のさして優秀とはいえない高校に在学していたはずが、立命館の付属高校にいつの間にか在籍していた。
 「学業優先」のためになかなかメディアに露出せず、ジャケット写真やプロモーション映像と、素で撮られた写真があまりにも違うので、「倉木麻衣CG説」なんてものもまことしやかに囁かれた。

 驚いたことに、倉木麻衣の歌はそこそこ売れた。(いや、皮肉な言い方をすれば、宇多田ヒカル並みにCDが出荷されていた)「柳の下にどじょうが2匹」というのは正しいようである。
 私は、倉木麻衣の歌は好きではなかった。単純に、好みではなかった。宇多田ヒカルやMISIAは聴けても、倉木麻衣は聴けなかった。彼女はハイペースで曲を発売したが、どれもつまらなかった。世間も模造品にはすぐに飽きるので、ヒットチャートでも彼女の歌の動きは冴えなくなっていった。
 宇多田ヒカルは、曲を出すごとに試行錯誤し、トライアルを恐れなかった。最新作の「トラベリング」などを聴いていると、彼女の日本語のセンスには感心させられる。一方の倉木麻衣「ウインターベル」なる曲は発売した時点で陳腐化してて、また聴こうかという気にはなれない。「低音ボーカルの女の子が昔聴いたことあるようなR&B風」がまた繰り返されただけだから。また、デビュー時から感じていた倉木麻衣の「安値感」を、ますます強く感じる。

 オリジナルを創造していく者と、模倣する者の間には埋めがたい懸崖があるのだ。
 ラジオから流れる「ウインターベル」を聴きつつ、「倉木麻衣」なる存在は、かつて人気演歌歌手に必ずいた、そのエピゴーネン(物真似的な存在)と何ら変わりないのだと思った。新しいように見えるが、ひどく古くさいではないか。
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